この前年2001年は、どのレースも日本人ドライバーがF1に参戦しない年でした。
ミハエル・シューマッハの圧倒的な強さもあり、興味なく見てた記憶があります。
その代わり、これぞ有望、日本人F1ドライバー初優勝もありえるのでは?
と思わせる日本人が登場します。
その名は「佐藤琢磨」。
2001年のイギリスF3でシリーズチャンピオンになりましたね。
そしてマカオGPのあの難しいコースでも優勝。
海外のF1下位カテゴリのフォーミュラレースで、
佐藤琢磨ほど活躍した日本人は、2015年の現在でも未だおりません。
今までの、日本の企業スポンサー頼みだけで、
F1のシートを獲得してた日本人とは全然違うなって思ってました。
その佐藤琢磨が、F1のシートを2002年に獲得します。

ジョーダンEJ12・ホンダ。
ホンダの後押しもありましたけど、
初めて期待できる日本人ドライバーの登場にワクワクしましたね(^^)
説明書き。

ホンダのF1第3期は、2000年からエンジン供給という形で活動開始。
2001年にジョーダングランプリにもエンジンを供給しています。
そして2002年も引き続いてホンダエンジンで戦いました。
その中、佐藤琢磨は鈴鹿で5位入賞します。
しかし、シャシーの出来はそんなよくなかったですね。

非常にセッティングの難しい、ピーキーなマシンやったそうです。
そのためシャシーデザインした、エグハル・ハミディはシーズン半ばに更迭。
ジョーダン創成初期に活躍したゲイリー・アンダーソンが復帰します。
そして期待を込めていた佐藤琢磨・・・
アグレッシブな走りは非常に魅力的でしたが、ミスが多いドライバーでした。
後のBARホンダ編でも語らさせていただきますけど
マレーシアGPではチームメイトであるフィジケラのマシンに追突したり、
モナコGPではそのフィジコに道を譲ろうとしてクラッシュ・・・
相当がっかりしながらテレビ見てた記憶があります。

そして、この年限りでホンダは、
ジョーダンとのエンジン供給契約はやめることになります。
すると必然的に、佐藤琢磨との契約も翌年は結ばれませんでしたね。
また2003年は日本人ドライバーのいない年に・・・
佐藤琢磨はBARホンダの第3ドライバーの位置に収まりますが、
これはまた別の機会に記事にいたしましょう。
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このマシンの印象は、なんと言っても、佐藤琢磨のF1デビューマシンであること。
今までの日本人ドライバーというと、バブル期のジャパンマネーにモノを言わせて、
日本GPのみスポット参戦したり、多額のスポンサー持ち込みによりシートを買う、
そして、ホンダのコネでシートを獲得するということが多かった。
スポンサー持ち込みで有名なのは、
井上隆智穂なんてアロウズでレギュラーシート獲得してます。
また、ここ最近ではトヨタエンジンをのせることを条件に、
中嶋一貴がウィリアムズのシートを獲得できていますね。
ぱっとしない下のカテゴリーの成績でも、
F1にあがることの多い日本人ドライバーですが、
そんな中、佐藤琢磨は違いました。
イギリスF3でシリーズチャンピオン、マカオF3でも優勝と、
海外の有名レースでトップを取って、F1に上り詰めたのです。
(まあ、ホンダのコネも大きく影響しておりますが)
その琢磨がドライブしたのが、このジョーダン・EJ12。
PMA 1/43 佐藤琢磨 ジョーダン・ホンダ HONDA EJ12 鈴鹿レジェンド 2002エンジンがホンダエンジンですので、
それですんなりシートを得られたのもあります。
話を現代に戻すと、2014年からホンダが復帰を匂わす報道もありますが、
現実になって欲しい。
可夢偉はトヨタの育成ドライバーですが、
ホンダがF1復帰となると日本人としては後押しして欲しいですね。
マシン自体は平凡な出来で、信頼性も乏しく、
佐藤琢磨が輝いた走りをしたのも日本GPのみ。
ホントに走らない車で5位はドライバーの力が大きかったです。

この年でホンダのジョーダンへのエンジン供給は終了。
それに伴い、佐藤琢磨もシートを失うこととなります。
2003年は日本人F1ドライバー不在の年になりましたね。
(日本GPで琢磨がBARからスポット参戦しますが)