インディカー「パノス Gフォース GF09B Honda」(2004年)「Honda H15R」(2005年)佐藤琢磨のインディ挑戦

毎週土曜に、テイクアウトグルメ記事と併用不定期にアップしてきたF1記事。
今回で最終回となります。
しかし、フォーミュラマシンでも、最後はF1カーではありません。
アメリカのインディで使用されたマシンになります。

こちらは、「パノス Gフォース GF09B Honda」。
インディカー「パノス Gフォース GF09B Honda」(2004年)「Honda H15R」(2005年)佐藤琢磨のインディ挑戦

2004年のインディ500で、ホンダが初勝利を飾ったマシンです。
インディって開催当初はCARTに比べマイナーなカテゴリーであったが、
ホンダ、トヨタが揃ってCARTよりIRLへ移行してからは、
それまでの有力CART参戦ドライバー、チームもCARTからインディに移籍しました。
そして現在に渡るまで、アメリカモータースポーツのトップカテゴリに、
君臨しております。

こちらは、「Honda H15R」。
インディカー「パノス Gフォース GF09B Honda」(2004年)「Honda H15R」(2005年)佐藤琢磨のインディ挑戦

2005年の年間17戦のうち12勝を挙げた、とても強力なマシンでした。

で、こうしてインディの記事をいかにも知ったかぶりをして書いてますけど、
はっきり言いまして、あまり興味なく、ちゃんと見たことありません(^^;)
すいません。

なので、あとは、私の知ってるインディの話題のみに絞ります。

インディカー「パノス Gフォース GF09B Honda」(2004年)「Honda H15R」(2005年)佐藤琢磨のインディ挑戦

2016年現在もインディで走ってる日本人ドライバーをご存じでしょうか?

その名は佐藤琢磨。
F1ドライバーでもあったので、誰でも知ってるレーサーですね。
スーパーアグリでF1キャリアを終えた彼は、その後2010年、インディに転向しました。

彼のインディキャリアでの一番の見せ場は、2012年のインディ500でしたね。
2位を走行していた佐藤琢磨は、ファイナルラップで、
果敢にトップを走るダリオ・フランキッティにオーバーテイクを仕掛けます。
歴史あるインディ500で、最後、表彰台2位をキープするよりも、
優勝を狙ったファイティングスピリットは、佐藤琢磨がF1時代から持ってた気質です。
しかし、それは誰の目から見ても無謀でしたね。
F1時代の佐藤琢磨はずっと追っかけてチェックしておりましたが、
速いけどミスの多いドライバーってのが私の主観。
その愚かさが顕著に現れたのが、この年のインディ500でした。

そして2013年のロングビーチ市街地特設コース・・・
インディで初優勝を成し遂げるんですよ。
F1では3位表彰台が最高位でしたけど、インディでトップに輝きました。
ようやく実が実ったなって、私も感慨深いレースで、翌日録画を見た記憶があります。

その後はインディで勝利は挙げてませんが、歴代日本人ドライバーの中では、
イギリスF3でのシリーズチャンピオン、マカオF3での優勝、インディでの優勝、
そしてF1で3位表彰台という、海外レースで一番輝かしい成績を誇っております。

私自身これからも、佐藤琢磨というレースドライバーは、
いつまでも応援していきたいですね。

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[ 2016/07/23 00:00 ] [車・F1]F1 | TB(0) | CM(-)

一番夢中になってF1を見たのはこのシーズンでした BARホンダ 006 ジェンソン・バトン/佐藤琢磨(2004年)

過去、私が、一番印象に残っているレースを挙げろと言えば、
1989年の最終戦オーストラリアGP、雨のアデレードです。
私がF1見始めたきっかけが、中嶋悟さんですから、
雨の中嶋の速さにワクワクもんでしたね。

ただ、シーズン通して、熱狂的に見続けたのがこの年、2004年ですね。
中嶋さんの次に、ずっと期待を込めて応援したドライバーが「佐藤琢磨」。
ドライブしたのが、こちら、「BARホンダ 006」です。

一番夢中になってF1を見たのはこのシーズンでした BARホンダ 006 ジェンソン・バトン/佐藤琢磨(2004年)

まず、冬のシーズン前テストからその速さはフェラーリに次ぐ速さでした。
こりゃ、もしかしたら、日本人F1初優勝が見れるかも?って期待しましたね。

現に、チームメイトのバトンは、表彰台を10回獲得して、
ドライバーズランキングも、フェラーリの2人に続き3位です。
ただ、そのバトンが1回も優勝できなかったのが、この年の珍事です。
コンストラクターズ2位のチームが1回も優勝してないんですよ。

そして佐藤琢磨ですが、予選では何度もその速さを見せてくれました。
ポールにはあと一歩及ばなかったものの2位が一回あります。
ただ、表彰台はアメリカGPだけってのは決勝はエンジントラブルが多過ぎた・・・
なんと7回も発生してリタイヤしております。

一番夢中になってF1を見たのはこのシーズンでした BARホンダ 006 ジェンソン・バトン/佐藤琢磨(2004年)

この年はもちろん、鈴鹿サーキットへ琢磨の応援に行きましたよ。
台風が直撃する天気でね~土曜のフリー、予選ともに全部中止。
車中泊してた車が水没するんやないかってくらいの雨で、やばかった。

そして、翌日曜に予選、決勝まとめて開催されたんですよね。
予選の結果は4位。
ワクワクしながら、130R抜けたシケイン手前の自由席で見てました。
ただ、ずっとバトンよりペース速かったのに、前を遮られてた。
そのまま4位でフィニッシュ。
目の前での日本人表彰台を見ることはできませんでした。
(但し、2012年、小林可夢偉の表彰台は現地で見ましたよ^^)

一番夢中になってF1を見たのはこのシーズンでした BARホンダ 006 ジェンソン・バトン/佐藤琢磨(2004年)

とまあ、期待を込めて、シーズン通して琢磨を応援した1年でしたが、
がっかりするレースが多かったのは確かです。
その分、翌年2005年もまた、非常に期待は込めたんですけど・・・
この話はまた後日、そのマシンをご紹介するときに・・・

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[ 2016/03/12 00:00 ] [車・F1]F1 | TB(0) | CM(-)

佐藤琢磨のF1参戦初マシン ジョーダンEJ12・ホンダ(2002年)ジャンカルロ・フィジケラ/佐藤琢磨

この前年2001年は、どのレースも日本人ドライバーがF1に参戦しない年でした。
ミハエル・シューマッハの圧倒的な強さもあり、興味なく見てた記憶があります。
その代わり、これぞ有望、日本人F1ドライバー初優勝もありえるのでは?
と思わせる日本人が登場します。
その名は「佐藤琢磨」。

2001年のイギリスF3でシリーズチャンピオンになりましたね。
そしてマカオGPのあの難しいコースでも優勝。
海外のF1下位カテゴリのフォーミュラレースで、
佐藤琢磨ほど活躍した日本人は、2015年の現在でも未だおりません。
今までの、日本の企業スポンサー頼みだけで、
F1のシートを獲得してた日本人とは全然違うなって思ってました。

その佐藤琢磨が、F1のシートを2002年に獲得します。
佐藤琢磨のF1参戦初マシン ジョーダンEJ12・ホンダ(2002年)ジャンカルロ・フィジケラ/佐藤琢磨

ジョーダンEJ12・ホンダ。
ホンダの後押しもありましたけど、
初めて期待できる日本人ドライバーの登場にワクワクしましたね(^^)

説明書き。
佐藤琢磨のF1参戦初マシン ジョーダンEJ12・ホンダ(2002年)ジャンカルロ・フィジケラ/佐藤琢磨

ホンダのF1第3期は、2000年からエンジン供給という形で活動開始。
2001年にジョーダングランプリにもエンジンを供給しています。
そして2002年も引き続いてホンダエンジンで戦いました。
その中、佐藤琢磨は鈴鹿で5位入賞します。

しかし、シャシーの出来はそんなよくなかったですね。
佐藤琢磨のF1参戦初マシン ジョーダンEJ12・ホンダ(2002年)ジャンカルロ・フィジケラ/佐藤琢磨

非常にセッティングの難しい、ピーキーなマシンやったそうです。
そのためシャシーデザインした、エグハル・ハミディはシーズン半ばに更迭。
ジョーダン創成初期に活躍したゲイリー・アンダーソンが復帰します。

そして期待を込めていた佐藤琢磨・・・
アグレッシブな走りは非常に魅力的でしたが、ミスが多いドライバーでした。
後のBARホンダ編でも語らさせていただきますけど
マレーシアGPではチームメイトであるフィジケラのマシンに追突したり、
モナコGPではそのフィジコに道を譲ろうとしてクラッシュ・・・
相当がっかりしながらテレビ見てた記憶があります。

佐藤琢磨のF1参戦初マシン ジョーダンEJ12・ホンダ(2002年)ジャンカルロ・フィジケラ/佐藤琢磨

そして、この年限りでホンダは、
ジョーダンとのエンジン供給契約はやめることになります。
すると必然的に、佐藤琢磨との契約も翌年は結ばれませんでしたね。

また2003年は日本人ドライバーのいない年に・・・
佐藤琢磨はBARホンダの第3ドライバーの位置に収まりますが、
これはまた別の機会に記事にいたしましょう。

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[ 2016/01/30 00:00 ] [車・F1]F1 | TB(0) | CM(-)