阪神淡路大震災から19年目のこの日(2013 神戸 ルミナリエ)

19年が経過しましたね・・・(本日は2014年1月17日です)
神戸に住んでいた私は、震災に直面したこの日を忘れることは絶対ないです。
ちょうど、昨年末にルミナリエにも顔を出したので、
本日は1995年1月17日、私の一日を綴ります。
記事の合間には、2013年のルミナリエ写真を挟みますね。

スルッとKANSAI 3day 神戸 vs 京都 冬のライトアップ対決!(2013年冬)後編

まず「ルミナリエ」は、クリスマスイベントとは全く関係ありません。
(このルミナリエへ一緒に行った同行者がそう思い込んでいて絶句した)
阪神淡路大震災の鎮魂と追悼を意味しており、
街の復興を祈念して、神戸への観光客を呼び戻す目的のイベントです。

その日は突然やって来ました。
阪神淡路大震災から19年目のこの日(2013 神戸 ルミナリエ)

時間は、1月17日(火)早朝5時46分。
仕事は繁忙期でしたので、土曜も出勤して仕事、
日曜・祝日の連休休み明けでしたね。
もちろん寝ておりました。
ガタガタと揺れが来たなとすぐに目が覚め、その後とんでもない衝撃が!!
天と地が逆転するかと思われるくらいの強さやったんで、
北朝鮮がミサイルでも撃ち込んできて、
ああ~これで死ぬんだなと覚悟しましたよ。

しかし、揺れはおさまり、真っ暗な部屋の中・・・
うん、ここで地震だと理解できましたね。
ただ、電気なんてもんは点かなくて、テレビ、ラジオの情報が入ってこない。
(携帯もパソコンもなかった時代です)
震源はその時は東京やと思ってました。
東京が壊滅的な打撃を受け、
関西にもその余波が来たなくらいに思ってたんです。

阪神淡路大震災から19年目のこの日(2013 神戸 ルミナリエ)

自身の部屋は、さほどの被害を受けておらず、
あちこちに物が落ちて、倒れていた程度。
しかし、「関東大震災」時、その時の死者は倒壊ではなく、
その後の火災で、大多数の方が亡くなったのが頭にありました。
なので、周りの家で出火がないか確認し、
慌てて貴重品を整理しバックに詰め込んで、
近くの小学校に避難しましたね。

そこで情報収集していると、震源は淡路島北部とのこと。
そして想像してたとおり、あちこちから火災の煙が上がり始めました。
とりあえず、火災の火の手から、どうやって逃れようか考えてましたね。
しかし幸いにも、私の家のある地区では火災は発生しませんでした。

阪神淡路大震災から19年目のこの日(2013 神戸 ルミナリエ)

一旦、家に戻り、電話は通じていた(電気、水道、ガスはダメ)ので、
あちこちから電話がかかってきました。
親、兄弟含め、親族はみんな大丈夫みたい。
そして、会社の社長からも電話があり、とりあえず自宅待機とのこと。
土曜に発送準備してたもんが、全ておじゃん、今日は夕方あたりから出勤して、
徹夜で作業せないかんかな?と仕事の段取り考え直している自分がいましたね。

けど、被災状況はラジオにかき集めた電池差し込んで、情報が聞けるようになり、
こりゃ神戸の町は想像以上にとんでもないことになっていると、
状況が掴めるようになりました。

阪神淡路大震災から19年目のこの日(2013 神戸 ルミナリエ)

昼近くになり、社長より命令の電話連絡が。
私、その当時、王子公園に住んでいたんですけど、三宮が勤務地でした。
私が一番近くに住む社員なんで、会社の様子を見て来いってことでした。
ただ、交通網なんて寸断されておりますので、勿論徒歩、
1時間半は普段ならかかるか・・・会社命令なので、向かいます。

その道中は地獄でした・・・ここは爆撃を受けた戦場か?と思いましたね。
道なんてまともに歩けません。電線は垂れ下がりバチバチいってるし、
あちこちから火の手があがり、ガソリンスタンドなんて、
濛々と燃えさかっています。
潰れた家の下では、何人も死んでいるんだろうなと思いつつ、
できるだけ被害の少ない広い道へ廻り道したのもあり、
テクテクと2時間はかかったかな。

阪神淡路大震災から19年目のこの日(2013 神戸 ルミナリエ)

三宮の近くまでやって来て、代々木ゼミナール北側にあるビルが、
斜めに傾いていたんですよ。

002_18.jpg

(阪神大震災全記録1995年3月神戸新聞社より写真を拝借いたしました)
これ倒れてきたらやばいなと思いつつ、その下を足早に通り過ぎました。

そして帰り道・・・
阪神淡路大震災から19年目のこの日(2013 神戸 ルミナリエ)

見事に道を塞いで倒れてました。
(こちらの写真は大分共同新聞にちょうど写真があったので拝借)
このビルの下敷きになった自分がいてたかも知れませんね・・・

阪神淡路大震災から19年目のこの日(2013 神戸 ルミナリエ)

で、少し話を戻し、会社のあるビルに到着。
会社は神戸市役所の南側で、被害がひどかったところです。
なんとかビルは建っていましたが、壁がボロボロ崩れています。
入り口はシャッターが閉まっており、どうやって入ったらいいか。
すると2階の窓に人影が見えます。
呼びかけてみると、ビルの隙間、1階にある窓が割れているので、
そこを開けて入ったとのことです。

私もそうやって、中に入ったんですけど、非常灯がついてないので、
真っ暗闇の世界です。
事務所は8Fでしたから、内部もあちこち壁も倒壊している状態の中、
崩れかけの階段を上っていけるわけありません。
とりあえず、社長に状況を伝え、懐中電灯を持って、こっちへ来い!と、
もうイライラも募って、社長に命令してる自分がいましたね(^^;)

そして、社長が、岡本から自転車に乗って到着。
なんとか事務所まであがって、鍵を開けると・・・
まあ想像を絶する世界が待ち受けていました。
こりゃ、この会社もおしまいだなと思いました。
社長は泣いてましたね。

とりあえず、顧客名簿とコンピュータのフロッピーディスク、
そして、金庫の中身を整理して持ち出すのがせいいっぱいの状況でした。

スルッとKANSAI 3day 神戸 vs 京都 冬のライトアップ対決!(2013年冬)後編

帰りの道中・・・倒壊家屋が続く地域では、
その傍らには、遺体袋に入っている命なき被災者方々の姿が・・・
手を合わせました(この方々と私の運命は紙一重であったかもしれません)。

私自身は全く無傷であったし、親族にも死者、負傷者はおりませんでしたが、
後日、テレビの報道で、何人も知っている名前を死亡者名簿に見つけました。
あ~あいつ、しばらく会ってなかったけど、死んでもうたんか・・・
人間の命って、いつどう転ぶかわからんな・・・考えさせられましたね。

まあ、翌日からも地獄の日々は続くのですが、
とりあえず、こちらが、その当日の状況です、忘れもしません。

阪神淡路大震災から19年目のこの日(2013 神戸 ルミナリエ)

もし地震に遭遇したら、何よりも早い避難を。
(会社命令とはいえ、私のように被災中心部に向かうなんてもってのほか)
地震の揺れよりも怖いのは、津波に火災。
東日本大震災の津波でも、早く臨機応変に行動できていたら、
千人単位もの人が助かっているはずです。

後日の話はまた。
来年20年目にあたる1月17日にでも、
綴る機会があれば書いてみたいと思います。


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[ 2014/01/17 00:00 ] [B級雑記]時事的出来事 | TB(0) | CM(-)

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